【ご報告付き】本日21歳になりました!それと....
こんにちは。
久々の投稿になりますね。
本日4日は、僕の21年目の誕生日です。
多くの人から「おめでとう」と言ってもらえ嬉しい限りです。それと同時に、まだ21歳なんだという反応ももらっています笑
去年の20歳の投稿を見返してて、面白かったのでシェアw
「人生は爆発だ」って今尚爆発し続けてることに感謝。初心忘れず!
21歳になったことについて記事にするほど面白い内容ではないので、ここらで報告に移ります。
昨日、法人を作りました!
昨日11月3日にRoamers OÜという会社を作りました。
事業内容は、「旅するように生きる」という共通価値観を持った人たちによる共同体を感謝経済というエコシステムで創ることです。
自分自身が、デジタルノマドとして世界中を旅するように生きるライフスタイルを実践し、その中で様々なデジタルノマドと出会い、課題をシェアし合いました。その中で、まだまだコミュニティが少ないし、オフラインでの関わり合いができないという"孤独感"を知りました。
最近、多拠点生活から無拠点生活へという記事も書きましたが、世界中に拠点を創るためにみんなで協力し合えば実現できるのではないか?という仮説のもと、仮説検証を繰り返してきて、なんとなく道が見え始めて来たので今回法人化を決めました。
感謝経済について
感謝経済とは、共感から生まれる「ありがとう」によって成り立つ経済のことです。
決められた金額を支払うのではなく、自分が感じた価値の分だけ感謝の気持ちを込めてギフトを渡す。(ギフト経済に似ています)
そして、同じ価値観を持ったメンバー同士が「感謝の紐」で結ばれていく。
そのような感謝の気持ちで溢れるコミュニティをRoamers OÜでは創って行きます。
Roamers OÜの"OÜ"ってなに?
お気づきでしょうか?
今回法人化したのは、エストニアです。
OÜというのは、アメリカや日本でいうinc.のようなものです。
ノリや流行でエストニアに法人化したわけではありません。
なぜ、僕がエストニアで法人化したのか理由を大まかに述べます。
在留許可(ビザ)
個人的な理由としては、在留許可(VISA)です。
エストニアはEU加盟国で、シェンゲン協定に加盟する国家です。
シェンゲン協定とは、ヨーロッパ26カ国の人の移動を自由にする協定です。例えば、フランスからドイツに移動するときに入国審査はありません。その代わり、90日間しか滞在できないという決まりがあり、90日間をすぎると、6ヶ月間シェンゲン協定加盟国には滞在できない決まりがあります。
そのため、ヨーロッパを中心に旅するように生きると考えた場合に、観光ビザのシェンゲン協定だけでは足りないなと感じています。
そこで、エストニアに法人を置いて、在留許可を取得できれば、エストニアをハブとしてヨーロッパでシェンゲン協定を気にすることなく滞在することができます。
そのため、エストニアに法人化しました。
GDPRへの対応
2018年5月からEUでは、GDPRという個人情報保護法ができます。
これは、EU加盟国の国民の個人情報をEU圏外に持ち出してはいけないという法律です。もし、これに違反すると200億円という罰金が課せられます。
これを回避する方法として、EU加盟国にデータセンターを置き、EUユーザーの情報をEUのデータセンターで管理するということができます。
先日のリスボンで行われたデジタルノマドカンファレンスの参加者の大半がヨーロッパの人で、比率で大きかったのがドイツ人でした。
そのため、我々のメンバーもヨーロッパの人が増えるのではないかと考えています。そのため、エストニアにデータセンターを設けることで、GDPRに対応していこうと考えています。
また、エストニアはサーバーセキュリティの分野でも世界トップクラスなので、データセンターのセキュリティも強固なものになるのではないかと思います。
オンラインで登記も納税もできる
世界中を飛び回りながら仕事をするライフスタイルだと、法人化や納税などの行政手続きを現地に赴いてやるとなると時間もお金も手間もかかります。
しかし、エストニアであればオンラインで、平均30分で法人化ができ平均3分で納税ができるので、時間もお金も手間も少なくてすみます。
そのため、エストニアで法人化をしようと考えました。
今回、実際にe-residencyを使ってエストニアに法人化しましたが、英語ができないのと手続きが思ったよりも複雑だったので、結構時間がかかってしまいました。
しかし、日本のように印鑑を作る必要はなく、手続きもオンラインで全てできるので日本の登記に比べれば楽かなという印象です。
特に、日本語でのエストニア法人化の手続きに関する情報が全くないので、正直手こずりました。
なので、今度記事にしようと思います。
THE CIRCLE テクノロジーを扱う人必見の映画
昨日の夜帰国しました。
機内でエマワトソン主演のTHE CIRCLEを見てきました。
日本では、11月10日ロードショーみたいです。
全てのテクノロジーを扱う人たちが見た方がいい映画だと思います。
この映画を見て、たくさんのことを考えました。
大きく2つのことです。
1)我々が向かう未来では、人類は地球という刑務所の中で生活をすることになるのか?
2)現状含め、個人情報は誰のものなのか?
我々が向かう未来では、人類は地球という刑務所の中で生活をすることになるのか?
健康管理、職務管理、SNS全てをオンラインにした方が、便利なのかもしれません。
「便利とは何か?」から議論したいところですが割愛します。
世界中の防犯カメラ、スマホのカメラを
やスピーカーなどをオンラインでつなぎ、個人のGPSデータを収集し、犯罪者を捕まえることができる時代です。
犯罪が減るのはいいことかもしれません。
しかし、これは犯罪が減ると同時に我々は、性悪説に基づいて地球という刑務所で互いを監視しあって生きることに繋がります。
それ以外の言葉を使うなら、世界中の人々がパパラッチであり、互いのプライベートをネタにし合う世界になるということです。
普段は、認識をしないようにしていますが、
24時間365日毎日、しかも生まる瞬間から死ぬ瞬間まで世界中の誰かから見られていることを容認してしまっています。
赤ん坊が生まれた瞬間をFacebookでポスト。その子供が生まれた瞬間には「いいね」は多く集まりますが、その子供が大きくなって、全世界に自分の生まれた瞬間を見られていたことを知ったら恥ずかしく思うかもしれません。
親にとっては嬉しい初めてのウンチも。。。
我々は、70億人から監視されて生きて行く世界を作ろうとしているのか?
もし、普段と異なる時間にオフラインにしたら、悪いことや恥ずかしいことしているのでは無いかと疑われる。
常に誰かに見られていて、付きまとわれている状態になります。
人間誰しも浮き沈みがあり、一人になりたい時間はありますが、その時間さえ当てられません。
なぜ大統領は偉くて、子供は偉く無いのでしょうか?
同じ人間なのに、管理する人と管理される人が存在するのでしょうか?
誰がどんな理由で、管理する権利を与えたのでしょうか?
管理する人間は、全知全能で間違えを起こさないのでしょうか?
少なくとも僕は、地球を刑務所にはしたくありませんが。
個人情報は誰のものなのか?
小中学校の時に「インターネット上にあげた情報は一生消せない」と教えられました。
これは、複数の理由がありますが、中央集権組織にのサーバーに書き込まれるという理由について論じます。
私たちは、FacebookやInstagramに投稿する理由は、自分の友達に自分の現状や考えを紹介して承認欲求を満たすためです。(僕もそうですが笑)
誰かから認めてもらうというのはとても嬉しいことですし幸せな気持ちになります。
しかし、全てをのデータ(投稿内容、写真、位置情報、デバイス、時間など)をFacebookやInstagramのサーバーに記録されます。(Instagramをfacebookが買収したので、facebookがデータを管理してそうですが)
そして、そのデータを利用して我々に広告を流したり、友達候補をレコメンドしてきます。
データを二次利用したりするかもしれません。
Facebook上で投稿を消したとしても、サーバー上には残るので、そのサーバーがハッキングされれば、消した投稿が世界中にばら撒かれるかもしれません。
我々はこのリスクを見ようとしないで、便利さを追求します。
便利を追求した先には、個人情報は存在しないし、個人が息を吸ったり心臓を動かしたりすることによって企業がお金を稼ぐようになります。
この問題は、中央集権組織に情報が集積してしまい、個人が自分の情報を管理できないシステムに問題があるのでは無いでしょうか?
そして
テクノロジーを止めることはできませんし避けて通る事もできません。
そして、テクノロジーは、我々人類を良い方向に導いてくれもしません。
人類がテクノロジーをより良い方向に導かないといけません。
AppleやGoogle、Facebookのような大企業やITスタートアップの起業家がなんとかしてくれる訳ではありません。
70億人の一人一人がテクノロジーに向き合い、何が人類にとってより良いのかを考え話し合う必要があります。
そのためにインターネットを使うべきではないでしょうか。
幸せなライフスタイルとは?
なめらかなお金がめぐる社会
なめらかなお金がめぐる社会。 あるいは、なぜあなたは小さな経済圏で生きるべきなのか、ということ。
- 作者: 家入一真
- 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
- 発売日: 2017/08/25
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
この本は、「小さな経済圏」という言葉を見た瞬間一目惚れして、読んでしまいました。
今まさに、「小さな経済圏」を創っているところということもあり、そのヒントにもなるかなと思いまして、即買いしてしまいました。
いい社会ってなんだ?
第1章からかゆいところ着いてくる家入さん。
「いい社会」「いい大学」「いい会社」みんな当たり前のように使っていますが、この「いい」とはなんだろうといつも思っていました。
人によって「いい」という感覚は違うのに、「いい大学に入れ」「いい企業に就職しろ」大体の人が言われてきたはずです。
僕の中で、結構イケてるいい大学は、デジタルハリウッド大学とかBBT大学かなと最近は思っています。
「いい会社」といえば、色々ありますが、SAMPOとかZEN OSだったり。哲学を持って、新しい世の中を創るぞという会社はやっぱりカッコいいし、一緒に何かやりたいと思えます。
本書では、働き方論は色々な場で語られているけど、本質は「どんな生き方をしたいか」ということにあると主張しています。この問いは、「自分にとっての幸せはどこにあるのか」に繋がります。
ごもっともです。
自分が一番「心地がいい」「楽しい」「幸せ」と感じられる人や場所はどこなのか?何をしている時が一番幸せを感じるのか?と考えてみると、今いる環境がベストなのかと考えることになります。
そして、その居心地の良い環境で生きていくためにはどのぐらいお金が必要で、どんなスキルが必要なのか?と考えれば、案外その理想のライフスタイルは近くにあるかもしれません。
僕は、「旅するように生きる」というライフスタイルを探求しながら世界中に無限に拠点をもつ無拠点生活をしたいと思っています。このライフスタイルを実現するためには、無限に拠点を持ったり、世界中に同じ価値観を持つ友達を持たないといけません。
今この記事を書いているのは、ポルトガルリスボンのホステルのリビングです。朝7時に起きて、朝日を見ながら読書をして、本を読み終えたので、この記事を書いています。
こんな幸せな時間を味わえるなんて最高です。なぜなら、毎日が非日常だからです。旅には終わりがあります。僕は、明日リスボンからマドリードに移動します。その終わりがあるからこそ、1日を大事に過ごすことができます。そして、毎日を楽しみに過ごせるのです。
話が逸れましたが、「旅をするように生きる」ための環境を整えるためにも今プロジェクトベースで事業を進めています。リスボンでも世界中の「旅するように生きる」人たちとも知り合え、着実に理想のライフスタイルに迎えています。
自分の理想とする"幸せな"ライフスタイルを見つけるところから始めましょう。そのためには、食わず嫌いをしないでなんでもチャレンジして見て自分の特性を見たほうがいいです。内なる自分に正直になり、何が好きで何が嫌いなのか?社会の目や声など無視です。人生は、自分自身のものであり、人生をコントロールできるのは自分自身なのだから。
いい社会という内容に戻すと、僕にとっていい社会とは、「多様な価値観を認め合い、それぞれが小さな経済圏を行き来する社会」です。
今の世の中では、国という大きな枠があり、住んでいる都道府県や市町村に帰属し、会社や学校という公の場があって、家族という小さな社会があります。
自分に合わないなと思っても、一度ドロップアウトしたら戻ってこれないかもしれない危険があるので、一歩が踏み出せない。
この同じレールを進まないといけない空気感というのがなんとも嫌なんです。
まず、違和感があるのは国家という枠組みです。どれだけ、平和活動をしようと、国家という枠組みがある限り平和は訪れない気がしています。
国家単位で物事を考えると、どうしても国益、国民、領土などどこかで線引きをして区別をしないといけない。北朝鮮とアメリカ、日本の関係を見ていてもわかります。特に、核兵器廃止条約に日本が入らなかったのも国という枠組みがあるから。
「小さな経済圏」がその時活躍すると思っています。この「小さな経済圏」とインターネットによって、国という枠組みではなく価値観やライフスタイルという枠組みで社会が形成されます。そして、お互いの経済圏を尊重しあい、自由に行き来ができるようになれば、平和の道が開けると信じています。
平和の総括としては、世界中の人たちが世界中を旅して、全ての地域に友達を作れば平和になると信じています。
このような社会が僕の考える「いい社会」です。
依存による障害
以前、無拠点生活について書いた記事で、拠点依存性を下げると書きました。
本書でも、依存性について書いてありました。
依存することの怖さはそれを抜け出すことに痛感するものだから。
と書いてありました。
まさに、会社もそうですし、拠点もそうですが、一つの会社、一つの拠点に依存して生きていると、「ちょっと違うな」「違うところに住みたい」と思った時に、リスクが大き過ぎてしまいます。また、その会社で育んだ居場所や拠点の愛着を捨てることになるため痛みがあります。
この依存性が排除できないと、自由に生きていくことが難しいです。
もちろん、居場所や愛着を捨てろと言っている訳ではありません。もし、居心地がよくて自分にあっているのであれば、それで幸せなのであれば変えること自体が不幸な訳です。
しかし、自分が幸せだと感じているライフスタイルと現状が違うのであれば、依存していれば怖さを感じるかもしれません。
拠点依存性を下げることで、より自由によりフットワークが軽く生きていけます。僕は、それが幸せですし、飽き性なので拠点依存性を下げていきます。
評価経済の懸念点
今まで、共感経済について色々と書いてきました。
共感経済は、お互いの感情や想いで経済が回る社会です。評価経済は、Airbnbや食べログのような評価(レビュー)で経済が回る社会です。
以前から、何度か評価経済や評判経済だけでは生きづらい社会になるのではないかと主張してきましたが、家入さんも同じようなことを言っています。
僕たちは何をするにも「いい人でい続けないといけない」という同調圧力が働く時代になっていくと思っていて、根はいい人なのに性格が素直じゃないとか、正義感が強すぎるあまり人と衝突することが多い人とかが、本当に生きづらい社会になるはずだ。
さらに、そこに遺伝子情報が介在してきたり、街中に監視カメラが顔認証をし始めたりすると、人が案寧に生きていくためには社会と同一化するしかなくなるだろう。
信用を貨幣と一元的にみなしてしまうと、社会は成り立たなくなってしまう危険があることを忘れてはならないということだ。
人からの評価が経済指標になってしまうと、つまらない社会になってしまうと思います。
Airbnbの評価が低い人は、銀行口座が作れない時代になってしまったら、怖くて突き抜けたことをしようとしなくなります。
すると、イノベーションも生まれないし、監視社会で閉塞的な社会になる危険性があります。
評価というのは絶対的なものではないし、むしろ参考程度。
本当に必要なのは、共感ではないでしょうか。僕は、最近感謝経済(Thanks Economy)という言い方をしていますが、「ありがとう」で回る経済です。
ポジティブな経済の方が楽しいし、明るいなと思うのでこの感謝経済を使っています。
共感経済にもマイナス面があるかもしれません。
僕は、まだその共感経済が煮詰まり切れていないので、悪い部分が見つかっていませんが、新しい経済システムを提案する立場として、そのマイナス部分も検討しなければいけません。
テクノロジーが変える僕らの未来
「テクノロジーが変える僕らの未来」という内容の中で、
今でもスカイプはあるけれど、大事なミーティングは対面で、というケースが多い。それは2次元の世界では相手の仕草や表情、その場の空気感などが伝わりきらないからだ。でもVRであればそれを補完できる。
(中略)
遠方の友達と遊びたくなったら、VRでプチ海外旅行でもすればいいのだ。
という一説がありました。
確かに、VRはスカイプよりも相手が近くにいるように感じるでしょうし、忙しく互いに対面で会えない場合は仕方ないかもしれません。
しかし、VRでは相手に触れることもできなければ、相手と同じ空気を吸うことはできません。バーチャルはリアルには敵わないし、リアルに勝る感動は味わえないと思っています。そのためVRでは補完はできないと思っています。
遊びもそうですが、仕事も同じです。
例えば、福岡のクライアントとVRでMTGするのと、東京から福岡まで行ってMTGをするのだと、相手に与える印象が全然違います。相手は、自分のために時間とお金と労力をかけて会いに来てくれた感動しますし、接し方も変わります。
VRではこんな感動は味わえません。
旅もそうです。
16Kの映像がVRで体感できて、人間が見ている世界と全く同じ映像が見られるようになったとして、VRで旅をしても、それはバーチャルであってリアルではない。脳みそは錯覚していても、虚しいだけです。
目的地に辿り着くまでの道のりも旅です。そして帰ってくる道のりも旅です。見たことのない場所に行き、自分の感性に従って生きることがVRでできるのでしょうか?
テクノロジーの発展は素晴らしいですし、便利になることもいいことかもしれません。しかし、便利になりすぎることで、人間が生きている意味がなくなってしまっては元も子もありません。
不便なことを面白がり、不完全であるところが人間らしいと思います。
なめらかなお金がめぐる社会。 あるいは、なぜあなたは小さな経済圏で生きるべきなのか、ということ。
- 作者: 家入一真
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日本人はたった2人、デジタルノマドカンファレンスに行ってきた
。今回、9月9日、10日に行われたDNX主催のデジタルノマドカンファレンスに出席して来ました。
このカンファレンスを見つけたのは、偶然で、4月ごろデジタルノマドについて調べていたらたまたま発見したイベントでした。
デジタルノマドは、日本にはまだまだ少なく、デジタルノマドがターゲットという話を投資家の方にすると「デジタルノマドってなに?」「市場が小さそう」とほとんど相手にしてもらえませんでした。
アメリカではフリーランス人口が急激に増えており、LCCの登場によってますます移動コストが下がる今日、欧米ではデジタルノマドという人たちが市民権を獲得し始めています。
私は、「旅をするように生きる」というデジタルノマド的なライフスタイルを目指しており、今後の事業をそちらの方向性で展開していこうとしているので、デジタルノマドカンファレンスに出席することで世界のデジタルノマドの様子を肌で感じようと思い立ちリスボンに飛びました。
プレイベント
デジタルノマドカンファレンスの3日前から毎日プレイベントが行われていました。
僕は、2日目と3日目のプレイベントに参加しました。
2日目のプレイベントでさえ、活気がありました。子供連れのデジタルノマドから60代近いシニアデジタルノマドまで様々な属性のデジタルノマドが集まって語り合っていました。
まだ公にしていませんが、今作っているデジタルノマド向けのサービスのプロトタイプを実際に触ってもらいながら説明すると、「新しいね」「クール」「理念がいいね」と説明したほぼ全員の方から言われました。
話した人から聞かれた感想で、心に刺さったのが、「このアプリはリリースされているの?」という質問でした。
今すぐ使ってみたいと思ってもらえたことに感動と同時に、悔しさが募りました。
3日目のプレイベントでも何人かのデジタルノマドにプロトタイプを触ってもらいましたが、今回も評価が高く、褒めてもらいました。
この3日目のプレイベント(前夜祭)も活気があり、熱く語り合っている様子でした。部屋の中ではうるさすぎて互いの声が聞き取れなく、外のベランダに出ている人もちらほらいるぐらいで、熱気と活気に包まれたプレイベントでした。
カンファレンス当日
ついに本番当日です!
会場には30分前に着きましたが長蛇の列ができていました。
会場となったのが、LX Factoryというリスボンにある古い工場をリノベーションした場所でした。とっても味があってカッコいい空間でした。
自身のポッドキャストをしながら世界中を飛び回っているデジタルノマドやコンサルタント、家族6人で世界中を旅しながら生きている起業家ノマドなど様々な登壇者がいました。
僕自身が、英語が得意ではないので、内容自体はあまり理解できていませんでしたが、心意気次第でデジタルノマドは誰だってできるということは伝わって来ました。
中でも最も僕が興奮して聞いていたのが、エストニアのCIOのTaavi Kotkaさんの話でした。
今まで、エストニアに関してFacebookでもこのブログでも取り上げて来ましたが、エストニア政府の方から直に話を聞いたのは初めてだったのでとても興味深く聞いていました。
エストニアが最もe-residencyを使って欲しいと考えているのはデジタルノマドだからこそこのカンファレンスでも登壇されたのだと思います。
場所に依存しないライフスタイルを実現できる環境が整っているのがエストニアだからです。
今回のカンファレンスには、46カ国から500名規模の人が参加していました。開催場所がリスボンということもあり、ヨーロッパやアメリカなど白人が8割型を占めていました。アジア人は最も少なかったです。
特に日本人は、僕と共同創業者の谷野の2人だけでした。
スピーカーとスピーカーの合間には、近くの人と自己紹介し合うワークショップが何度か挟まれたており多くのデジタルノマドと触れ合う機会が多かったです。
ワークショップイベント
10日はワークショップイベントが行われました。
このように、各部屋に分かれてインフルエンサーのデジタルノマドたちが自身の活動や知恵などをシェアしてくれました。
登壇者の中に、YouTuberの方がいてその方の話を伺っていると、日本にALTとして赴任したことがあるという話がありました。
このワークショップが終わった後に話しかけに行くと、まさかのまさか岐阜県各務原市に赴任していたことが判明しました(笑)
僕の実家から自転車で30分ほどの場所に赴任していたわけですから、話が盛り上がり、Facebookまで交換してしまいました!
日本に住んでいたというだけでも珍しいのに、岐阜県のしかも実家の近くというこの確率に感動して興奮しっぱなしでしたww(余談すぎますがww)
このワークショップの日にも何人かに事業の説明をしました。
事業内容以上にみんな、コンセプトや理念に対してとても高評価をしてくれました。事業内容も褒めてくれますが、毎回競合サービスを挙げられます。しかし、コンセプトや理念を話すと、「クールだね」「進捗知りたいから、Facebook交換しよ!」と興奮気味に声をかけてくれました!
実際に実装ができていないという状況がなんとも悔しいですが、理念もコンセプトも事業内容がずれていないことが確認できましたし、何より、世界のデジタルノマドにも受け入れられる事業であることを知れたので、大変意義のあるイベントでした。
最後に
今回のイベントでは、日本では鼻で笑われてしまうようなちっぽけな存在であるデジタルノマドですが、世界を見渡せば数千人、数万人の人口のいること。そして、皆自分のライフスタイルに誇りを持ち、コミュニティを求めていることがわかりました。
だからこそ、デジタルノマドカンファレンスに世界中から参加者が集い、お互いの事業について相談しあったり交友関係を広げる活動をするのだと感じました。
時間にも場所にも囚われないライフスタイルは、好きな時に好きな場所で好きな仲間と生きていけるライフスタイルです。
そして、インターネット上でヒトと会うのではなく、旅をすることでヒトとリアルに出会い、繋がることが重要なのだと思います。
VRで旅をしてもSNSで友達を作ってもほとんど価値はないと思います。リアルで旅をして、リアルで繋がり仲を深めるからこそ、価値が育まれる。
そのためにも、「旅をするように生きる」という時間にも場所にも依存しないライフスタイルができるようにしていかなければいけないと強く強く感じました。
多拠点から無拠点へ
無拠点生活とは
そもそも、多拠点生活とはなんなのかということから説明します。
多拠点生活をする人の多くは、2拠点生活です。例えば、東京と軽井沢の2箇所に生活拠点がある状態です。
そして、その生活拠点が3拠点、4拠点と増えていきます。
無拠点とは、数拠点を保有する多拠点ではなく、無限大に拠点が増えていきます。今まで多拠点でイメージできる拠点数は、多くても10拠点ぐらいでしょう。
しかし、無拠点とは、1万拠点規模やそれ以上になるということです。ここでいう拠点は、滞在することができる場所を指します。いつでも戻ってこれる場所です。
無拠点生活は、ゼロ拠点生活(居候、ホームレス)ではありません。
例えば、Airbnbで泊まり続けるのも無拠点生活の一種です。
僕の場合は、2ヶ月ほどゼロ拠点生活でしたが、明日からシェアハウスを日割りで契約できたので、帰る場所はありますが、拠点依存が下げられます。
拠点依存とはなんでしょうか?
拠点依存とは、「帰らなければいけない」という思考になることです。
今までの多拠点生活でも、複数の拠点を持つことで1箇所に縛られることなく生きられていましたが、無意識のうちにその複数拠点に縛られてしまいます。
東京と軽井沢に拠点があるのならば、この2拠点を往復するライフスタイルになるでしょう。3拠点でもしかりです。
無拠点生活では、全て自分の拠点と認識できます。(究極ですが)
そのため、森だろうと自分の拠点なのでテント一つで寝泊まりできます。
先日、南富良野に行った時に、SAMPOの仲間とモバイルハウスで月光しかない森の中に夜中に行きました。(鹿や熊などもいたかもしれません)
そこで、一夜を明かしましたが、最低でも雨風外敵がしのげる壁さえあれば、家として機能することを悟りました。
話し込んでいると朝を迎えていて、屋根に登ってみると、川の音がするという理由だけで、朝方から森の中に散策に行きました。
そして本能に狩られるままに川を渡り、川上から立ち込める霧を見ながら、これこそがLiving Anywhere(好きな時に好きな場所で働き暮らす)だと感じました。
無拠点生活とは、どこでも拠点になりうるのです。
そして、ここでいう”無限大”とは物理的な拠点数を無限大にするという意味もありますが、精神的な拠点数を無限大にするという意味も同時にあります。
同じ拠点であっても季節や時代によって感じ方が変わりますし、見える景色も変わります。一時として同じ瞬間に出会うことはありません。どんな感情であれ、それは新しい感覚を生み出します。
なぜ、拠点依存を下げる必要があるのか?
人は、家や職場、行きつけのカフェなど自分の拠点に縛られて生きています。
すると、人生の中で出会う人も経験も景色も固定化され、拠点に縛られてしまいます。
本当は、毎日全く違う景色に出会っているのに、頭が日常と解釈してしまうので、何も変わらない日常と感動がありません。
拠点依存を下げることで、東京という街にも日本という国にも地球という惑星にも縛られることなく、自分の感性に従い「今この瞬間」を体感しながら生きることが可能になります。これこそ、本当の意味での自由なのではないでしょうか?
誰と過ごすか
今までの旅もそうでしたし、今回の南富良野もそうですが、結局は「誰と時間を過ごすのか?」が重要なのだと感じました。
無拠点生活では、好きな時に好きな場所で生きることができます。しかし、孤独なら意味がありません。話し相手もいないし、飲み相手もいないなんて退屈で仕方ありません。
かといって、全く価値観の異なる人と居ても、話が噛み合わなかったり、イライラしたりとストレスは溜まるばかりです。
やはり、自分と趣味が同じだったり、価値観が近かったり、一緒にいたいと思える人と過ごすことに価値があるのだと改めて思います。
「そうだ、明日星空を見に北海道に行こう!」と思ったとします。実際に行きました。一人で見てもその感動を分かち合う人がいなければ、嬉しさは半減します。真夜中に森に一人という恐怖と戦いながら、星空を見て何を思うでしょうか。僕は寂しがりやなので、「早く帰りたい。」と思うかもしれません。
人生は短いです。せっかくなら、価値観の合う仲間と共に語り合い、時間を共にした方が楽しいじゃないですか。
僕は、「好きな時に好きな場所で好きな人と」無拠点生活をして行きたいなと思います。
最後に
今まで、僕も多拠点生活という言い方をしていました。しかし、色々掘り下げていくと、どこにも拠点依存しないようなライフスタイル。すなわち無拠点生活を構想していたことに気がつきました。
数拠点では物足りない。世界中が自分たちの拠点になるような無拠点生活を実際にしていましたし、今後もして行きたいと思っています。
そして、無拠点をするには気の合う仲間(コミュニティ)を創らねばいけません。このコミュニティを創っていくのは時間がかかります。しかし、無拠点生活を実行している人たちが繋がり合うことができれば、自然とできていく気もしています。
ゼロ拠点生活を実践したことで、多拠点から無拠点への思考が変わったことに大変嬉しさと一筋の光が見えました。
これからは、ゼロ拠点から無拠点へと生活スタイルを変えて、拠点依存を極限まで下げ、実際に生活を重ねることで見える世界を体感して行きます!
経済は「競争」では繁栄しない
経済は「競争」では繁栄しない
経済は「競争」では繁栄しない――信頼ホルモン「オキシトシン」が解き明かす愛と共感の神経経済学
- 作者: ポール・J・ザック,柴田裕之
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2013/06/28
- メディア: 単行本
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本書は、「神経経済学」という人間の出すホルモンによって経済を考える学問の生みの親であるポール・J・ザックさんが書かれたものです。
小難しい話に思われるかもしれません。だって、生物学と経済学と哲学などが入り混じった学問なので。
しかし、同書はユーモアたっぷりに書かれているのでたまに笑っちゃいます。(自虐的表現もなかなか面白い)
オキシトシンとテストステロン
オキシトシンは、他者に共感し信頼を育むホルモンです。テストステロンは、攻撃的で処罰しようとするホルモンです。
人間は、この2つのホルモンバランスを保つことが大事です。
今までの経済学では、人間はテストステロン的な合理利己主義でできていると定義してきました。つまり、誰もが自分の利益を念頭に置き、一体どこにその利益があるかという打算に基づいて意思決定をすることを前提とした経済学だったのです。
面白いことに、経済学や経営学に触れたことはある人なら一度は聞いたことがあるであろうアダム・スミスは、道徳感情論の中でこのように言っていました。
「優しく寛大な行動は、他者への愛着の感覚から生まれ、困っている人を目にすると、「相互同感」という絆(共感)が生まれる」と。
人間は道徳を生まれながらにして持っており、他者への共感こそ世の中を豊かにできると提唱したのがアダム・スミスでしたが、時代背景的に金儲け資本主義だったこともあり誤解されていたそうです。
アダムスミスは、利己主義の追求は現に全ての人に有益であると主張しました。本書では、皇帝ペンギンの例が出ていました。皇帝ペンギンのオスは我が子の卵を温めるために集団で身を寄せ合います。しかし、外縁部にいるペンギンと中心部にいるペンギンでは温度が違います。(もちろん中心の方が居心地がいい)そのため、お互いに外縁部と中心部の場所を交代しながら過ごします。
つまり、各自の利益と全体の利益を一体化し、善循環を生み出しているということです。これは人間でも同じで、一人では生きていけません。他者を幸福にすることが自らの生存に欠かせないのです。だから、人間は道徳的な動物であって、決して合理利己主義ではないのです。
テストステロンは、暴走するとダメですが、ある程度持っていないと人を信頼し過ぎたりリスクにチャレンジすることができないです。
多くの人にとって身近な例で言えば、結婚は大きなリスクを伴う決断です。もし、テストステロンがなければ、結婚できないでしょう。そのリスクに挑戦しようとできないからです。
なので、決してテストステロンが悪いというわけではなく、何事もバランスが大事ということです。
オキシトシン分泌を増やすには
では、どうやってオキシトシンの分泌を増やせばいいのでしょうか。
オキシトシンは、1日8回ハグをすれば今よりもっと幸せを感じるそうです。オキシトシンは、ハグした二人共に分泌されて行くのでハグが優しさの好循環を生み出します。
また、複数人でダンスをすることもオキシトシンを分泌させるそうです。
現代的ですが、好きな人とSNSでチャットをするだけでもオキシトシンは分泌されます。もちろん、優しい心配りや親切はした人にもされた人にもオキシトシンを分泌し、他人に思いやりのある行動を促します。
昔からの「自分がやってほしいことを他人にしなさい」という教えは正しいということです。
共感と信頼に基づく経済
僕は、より人間らしい「他者への共感」「他者との信頼関係」によって育まれる経済を目指したいと思っています。
なぜなら、その方が「幸せ」に生きられると思うからです。
何を持って幸せと言うのかは人それぞれですが、僕にとっての幸せは、"共感"と"信頼"が満たされた状態だと思います。
共通の話題で盛り上がれる人とは、めちゃくちゃ盛り上がって話合えますし、そう言う人とは時間など関係なく信頼関係が育まれます。
信頼関係は、人と人が強い絆で結ばれ互いを思いやれる関係性だと思います。
そして、インタネットによってこの共感と信頼関係は拡大しています。
この共感と信頼は、人それぞれ太さが異なり、一概には判断できません。
そこで異論を唱えたいのが、「評価経済」へ向かおうとする流れです。
僕は、評価経済を解にするのはちょっと違うのではないかと考えています。共感経済の中にも評判資本というものがありますが、一つのパラメーターに過ぎません。(共感経済も究極解ではないですが。)
評判経済では、他者からのレビューが全てです。AirbnbやUber、食べログどれをとってもレビューですが、レビューでその人の全ては分かるわけがありません。
以前、「Airbnbで宿泊するときに着眼点はどこか?」というアンケートを取ったら、
①レビュー
②家や部屋の写真
③プロフィール
という結果になりました。
やはり、レビューを気にする時代ということを感じました。
もし、レビューを気にし過ぎれば、他人からの目が気になり自分を失いかねません。突き抜ける人は、世間では叩かれ、レビューで悪いことを書かれる恐れがあるので、下手なことはしなくなります。そのため、平均的で当たり障りのない人の集合体が形成されなんの面白みもない世の中になるのではないかと懸念しています。
共感経済は、社会関係資本(知識資本、関係資本、信頼資本、評判資本、文化資本、自然資本、信用資本など)で形成されています。
共感経済では、個人それぞれの価値観や世界観で関係性が生まれ、信頼を高め合い、互いの評判で共通価値観の人たちがつながり合うことでコミュニティが生まれ、それが文化となって生きます。
その段階で、このコミュニティがアイデンティティ化し、自分の一部となります。
そのコミュニティーが無くなることは、家族の死を意味するぐらい悲しくなるのです。
このような共感経済では、より多様な指標で互いを認め合い、価値を創出し交換し合う経済が生まれるのではないかと思います。
何より、愛と共感と信頼によって人間が人間らしく人生を歩んでいけるのではないか。
全ては無である
上記で、共感経済も究極解ではないと書きましたが、その理由は、我々人間が認知できるパラメーターが少な過ぎるからです。
この地球、宇宙含め放出されているエネルギーは膨大であり、全て何かで埋め尽くされています。しかし我々はそれを感じられない。
その少ないパラメーターでしか価値判断できないので、共感経済も究極解ではなく、単なる仮説に過ぎないわけです。
この世に究極解は存在しません。
ここ数百年の資本主義の流れは、西洋的な価値観が深く影響を及ぼされてきました。具体的にいうと、存在するものに価値を認め、解は一つしか存在しないということです。
東洋思想とは真逆の発想です。東洋は、全ては"空"から生まれており、"無"が価値なのです。そして、解は複数存在し、その全てが正しいのです。
近代科学から量子力学へと動いており、量子という"空"の概念が西洋にも浸透してきました。
そして、多様な価値観や宗教観、哲学が存在していますが、20世紀まではそれを認めず殺し合いによって解決しようとしましたができませんでした。その名残が21世紀初期の今、テロリズムという怪物を生み出しました。
多様な価値観を認め合い、尊敬し合うためには、西洋と東洋の思想が溶け合い絡み合うことが重要なのではないかと思っています。
話が逸れましたが、「何が正しく、何が間違いなのか」というアプローチではなく、全て正しいわけで、これからの社会は、価値観に基づき互いに共感し合うコミュニティが複数でき、そのコミュニティに複数所属することができる時代ということです。
しかし、これは単なる仮説解に過ぎません。全ては暇つぶしのようなものだと思います。
経済は「競争」では繁栄しない――信頼ホルモン「オキシトシン」が解き明かす愛と共感の神経経済学
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