最近、生きている心地がしないあなたへ
諦める力
今回紹介するのは、為末大さんの『諦める力』という本です。
諦めるという言葉は、ネガティブな意味が感じられますよね。逃げているように感じたり、投げたしたり。
しかし、別の意味があるそうです。
諦めるという言葉の語源は「明らめる」だという。仏教では、心理や道理を明らかにしてよく見極めるという意味で使われ、むしろポジティブなイメージを持つ言葉だというのだ。
そこで、漢和辞典で「諦」の字を調べてみると、「思い切る」「断念する」という意味よりも先に「あきらかにする」「つまびらかにする」という意味が記されていた。
諦めるとは、元々ポジティブな意味だったのに、いつからかネガティブな意味で使われるようになってしまったのです。
諦めるという言葉を見つめ直すと、
「自分の才能や能力、置かれた状況などをあきらかにしてよく理解し、今、この瞬間にある自分の姿を悟る」
ということになります。
感想
この本には痛快さがありました。
私は、商業高校出身です。
その時、情報処理科という学科にいたので、高校1年からプログラミングを学んでいました。特に、国家試験に力を入れていたこともあり、応用情報技術者試験という国家資格まで取得しました。
私は元々、パソコンが好きだったわけでもなく、キーボードも2つ指でタッチしていたぐらいでしたが、クラスメートの中には自作でパソコンを作っているツワモノまでいました。
そんな状況の中、プログラミングを勉強し、部活でもパソコン部のようなところにいたので、一日中プログラミング漬けのような感じでした。その生活を3年間続けましたが、一向にプログラミングが上達しませんでした。自分自身もプログラミングは好きではありませんでしたし、ディスプレイと数時間にらめっこして、座りっぱなしという状況が好きになれず、勉強にも身が入らないといったところでした。
先生からは、「努力が足りない」とか「そんなこともできないなら、何やっても一緒」と怒られ、いかに怒られない程度にサボるかが重要な尺度になっていました。(笑)
(ある程度は、できるように勉強はしてましたよ笑)
皆さんもこんな経験をしたことはないでしょうか?
私は小学1年生から兄の影響で野球をやっていました。その頃からコーチや監督に言われたのは、「イチローは努力の天才」「努力すれば報われる」「諦めるな」「最後までやりきれ」と色々言われてきました。
私も、馬鹿正直にそれを信じて、素振りをしたり毎朝早起きして走ったり、坂道ダッシュをしたりした記憶があります。しかし、そういった練習を好きにはなれませんでした。やっぱり、紅白戦とか練習試合とか試合の方が楽しかったです。
イチロー選手のように、四六時中野球について考えたり、苦しい練習を続けることはできませんでしたし、モチベーションも湧きませんでした。
今思えば、自分の才能が野球にはなかったということかもしれません。
本書にも書かれていましたが、イチロー選手や錦織選手のようなトップスターの存在の人たちは、練習を苦として捉えてません。楽しくて楽しくて仕方がないそうです。一つ一つの練習は、苦しいものですが、それで成果がついてくるからやめられない。という状態に入るそうです。
しかし、その分野に置いて才能がない人は、苦しい練習をしても成果が一向に現れなかったり同じだけ努力しても同じパワーを発揮できない。だから、楽しいとも思えない。しかし、周りの言葉や世間の言葉から「諦めるな」「努力は報われる」と言われるから辞めることができないというサイクルに陥ってしまいます。
本書で痛快な一言があったので紹介します。
スポーツの世界では、とりわけ「中途半端なところで諦めるべきではない」という価値観が強い。途中で諦めたら、どの世界に行っても同じことが続くぞ、とお決まりのように言われる。そう言う人には聞いてみたらいい。
「では、あなたは僕がやめずに続けたとして、どのくらいまで行くと思いますか」
その問いに対する答えが具体的で根拠のあるものなら、考え直すのもありだと思う。しかし、ただ「諦めるな」と行っているだけなら聞き流せばいい。
まさに、高校時代に先生から言われていたことそのもので読んでいて痛快でした。お決まりの言葉を言われてもへこたれることなく、聞き流せばいいのです。
注意が必要なのは、聞かないのではなく、聞いた上で忘れると言うことで。「そう言う考え方もありますよね」と受け止め流す。
ビジネスで成功している人で尊敬する人でも完璧はありません。人間だから間違えることだってあります。自分の価値基準に照らし合わせた時に、自分には合わない考え方だと思ったら聞き流すと言うことも覚えないと自分が潰れてしまいます。
最後に、努力ってなんだといつも私は考えてしまいます。
私の定義ですが、「ある目標を達成するまで、あきらめずに「やるべきことを行う」こと」を意味しているのかなと思っています。これは、以前にGRITと言う本を読んだときに考えた定義です。
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今回、「諦める力」を読んで、改めて”努力”を考えてみるのもいい機会かもしれません。
この私の定義に置ける”諦めずに”というのは、あと少しで成功しそうな状況と思えるものだったり、辛いけど客観的にみると成果が出ているという状況に置いてです。
「やらされている感」があったり、続けることが義務的になっているというものではありません。
そして、才能という言葉。
これも「なんだ?」と思いました。
才能のある分野を見つける基準として、私は周りからは「頑張ってるね」「努力しているね」「成長したね」と言われているけども自分はそんなつもりはないという状態にある分野だと思っています。
呼吸をしてても苦にならないのは、たまたま呼吸をする才能があったということではないかなぁ。
鼻が詰まっている時って、鼻を噛んだり、水を飲んでみたり、呼吸するのに努力しますよね。
ぜひ、今生きている心地がしない人や「諦めるな」と言われて変な気持ちがしたことがある人、今進路で悩んでいる人には読んで欲しいです。
続編もあるようです!