限界費用ゼロで資本主義2.0時代へ
限界費用ゼロ社会と共有型経済の台頭
限界費用ゼロ社会 〈モノのインターネット〉と共有型経済の台頭
- 作者: ジェレミー・リフキン,柴田裕之
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2015/10/27
- メディア: 単行本
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様々なところで資本主義の限界が論じられている今日ですが、この本はそれを紐解いてくれます。
最近、ポスト資本主義という言葉を掲げる人が見受けられますが、私は"ポスト"ではなく"2.0"だと言っています。
"ポスト=脱"という意味がありますが、共感経済や共有経済になったとしても、それは資本主義無くして実現できない世界なわけで、"脱する"わけではないからです。
どちらかというと、資本主義という土台の上のレイヤに共感経済や共有経済があるという認識なので、"資本主義2.0"という言い方の方が妥当な気がします。
むしろ、資本主義という言葉すら使わない、"共感主義"という言い方をした方がいいかもしれません。
資本主義のジレンマ
経済学者のランゲやケインズは、1939年代に資本主義の核心にある矛盾に気づいていたそうです。消費者が製品の限界費用だけしか支払わない経済こそもっとも効率的であることを経済学者は昔から理解していました。
資本主義体制の企業は、高品質の製品を安く製造し販売するという競争を行います。安く生産するには、生産性を高めて大量生産します。すると、限界費用がどんどん下り1個あたりの生産費用が低くなります。そして、AIやIoT、3Dプリンターなどのテクノロジーの発達によって限界費用がゼロに近づいています。
経済学者が考える効率的な経済を目指した時、消費者は限界費用だけしか支払いません。限界費用がほぼゼロだった場合に企業は投資収益と十分な利益を確保できなくなり、株主を満足させられなくなります。
大手企業は、市場で力を持っているので独占的支配を行い、限界費用より高い価格で消費者に買わせようとします。
そして、見えざる手によって限界費用ほぼゼロの効率的な経済を目指すことを防ごうとします。
このジレンマが資本主義の理論と実践の根底にある固有の矛盾です。
コモンズ時代の再来
コモンズとは
資本主義市場と代議政体のどちらよりも長い歴史を持つ、世界で最も古い、制度化された自主管理活動の場なのだ。
コモンズは昔のものとされがちですが、実は我々の生活の近くに存在しています。例えば、慈善団体や宗教団体、スポーツクラブ、信用組合、分譲住宅の管理組合など様々なところで見かける団体はコモンズ式に活動しています。
このコモンズでは、社会関係資本を生み出し人と人との信頼関係に基づいて経済活動を行なっています。
社会関係資本とは、市場では評価されにくい他人との"信頼関係"や"ネットワーク"のことです。
この協働型コモンズにおいては、"お金"を返すことなく持ちつ持たれつの関係性で経済を回すことができるのです。
なぜなら、他人との信頼関係に基づいて取引を行うからです。日本の田舎の村でも同じことが行われていますよね。「じゃが芋が豊作だったからおそそわけしたら、秋にお米でお返しをもらった」というように、ここには信頼関係によってお金を返さないやりとりが発生しています。これもれっきとして経済活動です。
今までは固定された場所に依存していましたが、インターネットの発達によって世界中の人が同じ価値観の人と協働型コモンズを作ることによって、様々な信頼に基づくお金を使わない経済が生まれるようになります。
このコモンズでは、経済的豊かさ(モノの所有やマネーリッチ)ではなく、精神的豊かさ(友情、愛情)を追求する社会になります。
ミレニアル世代
ミレニアル世代とは、1980~2000年頃に生まれた人達のことを指します。この時代の人達は、モノの所有よりもアクセスを重視します。
例えば、一つの家を所有することよりも色々な場所に住むことを好みます。家を所有する時に、大体の人はローンを組みます。30歳の時にマイホームを立てるために30年ローンを組んだ場合、60歳まで返済する必要があります。その間は、その家に住むことが前提となります。60歳になり、ローンを返済した時には若い時に出来ていたことが出来なくなり、その活力も30歳の時よりは衰えています。
"お金"を得る行為は、負債なのです。"今"という時間を犠牲にして、幻想のような未来のために貯蓄するのです。
このように、"今"という時間を大切に生きたいと考えるのが、ミレニアル世代なのです。
こうした、ミレニアル世代が社会の主軸となってきた今世紀だからこそ、新たな変革が生まれ始めています。
プロシューマーの登場
プロシューマーとは、producer(生産者)とconsumer(消費者)を組み合わせた造語で、製品開発も担う消費者のことです。
資本主義市場においては、消費者と生産者は区別されていたが、協働型コモンズにおいては、消費者も生産者も兼ね備えた存在になります。
その証拠に、Airbnbやメルカリの市場は広がっており消費者でもあり生産者でもある人々が増えていますし、違和感さえありません。
協働型コモンズでは、プロシューマーによって情報やスキル、リソースなどがオープンソースとして公開され、互いに共創を行うことで限界費用がほぼゼロで新しいサービスが生み出されシェアされます。
家や自動車、衣服、食品、エネルギーなどなど様々なものが協働で生まれ、シェアによって流通するようになります。この経済システムを支えるのが社会関係資本と言われるコモンズ内での信頼関係とネットワークです。
このコモンズ経済圏においては、お金を介在させなくても経済活動が営まれます。
21世紀は共感の時代
資本主義誕生〜20世紀までの幸せは、「モノの所有」でした。しかし、21世紀に入り、2008年のリーマンショックによって、資本主義の綻びを学びました。2011年には、東日本大震災によって"今"や"絆"を考えるようになりました。
人災や天災によって、モノの所有よりも人との繋がりによって幸せを感じる人が増えてきたのが21世紀という時代です。
共感による経済は、ユートピアのような理想主義を思い起こす人がいるようですが、実際はその正反対だと筆者は述べています。
本書の16章「生物圏のライフスタイル」を引用します。
共感を抱くとは、他者が繁栄するよう応援し、相手の短い生涯に秘められた可能性のすべてを自ら実感することだ。思いやりとはすなわち、地球上で生命の旅をする仲間として連帯の絆を認めて、互いの存在を祝福する私たちなりの方法なのだ。
つまり、他者との共感とは喜怒哀楽すべてを共にすることを意味しています。他者への共感は、自分の命と同じように相手の唯一無二の命を認識することです。
より、人と人とが近くで接し、同期するような感覚の経済システムが共感経済です。
今までの資本主義経済は、機械的なシステムで動き人間に違和感を感じさせてきましたが、共感主義経済は、生命的なシステムで動く経済でありより生命体である人間にとってはフィットする世界なのではないかと思います。
私は、こうした人と人とが共創によって生産し、生産したものを共有によって流通させる経済をコラボシェア経済と言っています。
こうした、コラボシェア経済が実現することで、協働型コモンズが他人との信頼関係によって取引を行い生命的な共感によって喜怒哀楽を共有し、生命体として人間が強くなるのではないかと考えています。
本書によって、自分の価値観を肯定された側面が大きく、それと同時に資本主義を提唱した人達さえも共感経済を見据えていたことに驚きを感じました。
限界費用ゼロ社会 〈モノのインターネット〉と共有型経済の台頭
- 作者: ジェレミー・リフキン,柴田裕之
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2015/10/27
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