Roamers Lifeという生き方

エストニアをベースに無拠点生活を目指す奮闘記

幸せなライフスタイルとは?

なめらかなお金がめぐる社会 

 この本は、「小さな経済圏」という言葉を見た瞬間一目惚れして、読んでしまいました。

今まさに、「小さな経済圏」を創っているところということもあり、そのヒントにもなるかなと思いまして、即買いしてしまいました。

 

いい社会ってなんだ?

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第1章からかゆいところ着いてくる家入さん。

「いい社会」「いい大学」「いい会社」みんな当たり前のように使っていますが、この「いい」とはなんだろうといつも思っていました。

人によって「いい」という感覚は違うのに、「いい大学に入れ」「いい企業に就職しろ」大体の人が言われてきたはずです。

僕の中で、結構イケてるいい大学は、デジタルハリウッド大学とかBBT大学かなと最近は思っています。

「いい会社」といえば、色々ありますが、SAMPOとかZEN OSだったり。哲学を持って、新しい世の中を創るぞという会社はやっぱりカッコいいし、一緒に何かやりたいと思えます。

 

本書では、働き方論は色々な場で語られているけど、本質は「どんな生き方をしたいか」ということにあると主張しています。この問いは、「自分にとっての幸せはどこにあるのか」に繋がります。

ごもっともです。

 

自分が一番「心地がいい」「楽しい」「幸せ」と感じられる人や場所はどこなのか?何をしている時が一番幸せを感じるのか?と考えてみると、今いる環境がベストなのかと考えることになります。

そして、その居心地の良い環境で生きていくためにはどのぐらいお金が必要で、どんなスキルが必要なのか?と考えれば、案外その理想のライフスタイルは近くにあるかもしれません。

 

僕は、「旅するように生きる」というライフスタイルを探求しながら世界中に無限に拠点をもつ無拠点生活をしたいと思っています。このライフスタイルを実現するためには、無限に拠点を持ったり、世界中に同じ価値観を持つ友達を持たないといけません。

今この記事を書いているのは、ポルトガルリスボンのホステルのリビングです。朝7時に起きて、朝日を見ながら読書をして、本を読み終えたので、この記事を書いています。

こんな幸せな時間を味わえるなんて最高です。なぜなら、毎日が非日常だからです。旅には終わりがあります。僕は、明日リスボンからマドリードに移動します。その終わりがあるからこそ、1日を大事に過ごすことができます。そして、毎日を楽しみに過ごせるのです。

話が逸れましたが、「旅をするように生きる」ための環境を整えるためにも今プロジェクトベースで事業を進めています。リスボンでも世界中の「旅するように生きる」人たちとも知り合え、着実に理想のライフスタイルに迎えています。

 

自分の理想とする"幸せな"ライフスタイルを見つけるところから始めましょう。そのためには、食わず嫌いをしないでなんでもチャレンジして見て自分の特性を見たほうがいいです。内なる自分に正直になり、何が好きで何が嫌いなのか?社会の目や声など無視です。人生は、自分自身のものであり、人生をコントロールできるのは自分自身なのだから。

 

いい社会という内容に戻すと、僕にとっていい社会とは、「多様な価値観を認め合い、それぞれが小さな経済圏を行き来する社会」です。

今の世の中では、国という大きな枠があり、住んでいる都道府県や市町村に帰属し、会社や学校という公の場があって、家族という小さな社会があります。

自分に合わないなと思っても、一度ドロップアウトしたら戻ってこれないかもしれない危険があるので、一歩が踏み出せない。

この同じレールを進まないといけない空気感というのがなんとも嫌なんです。

 

まず、違和感があるのは国家という枠組みです。どれだけ、平和活動をしようと、国家という枠組みがある限り平和は訪れない気がしています。

国家単位で物事を考えると、どうしても国益、国民、領土などどこかで線引きをして区別をしないといけない。北朝鮮とアメリカ、日本の関係を見ていてもわかります。特に、核兵器廃止条約に日本が入らなかったのも国という枠組みがあるから。

「小さな経済圏」がその時活躍すると思っています。この「小さな経済圏」とインターネットによって、国という枠組みではなく価値観やライフスタイルという枠組みで社会が形成されます。そして、お互いの経済圏を尊重しあい、自由に行き来ができるようになれば、平和の道が開けると信じています。

平和の総括としては、世界中の人たちが世界中を旅して、全ての地域に友達を作れば平和になると信じています。

 

このような社会が僕の考える「いい社会」です。

 

 

依存による障害

以前、無拠点生活について書いた記事で、拠点依存性を下げると書きました。

keisuke-chiba.hateblo.jp

本書でも、依存性について書いてありました。

依存することの怖さはそれを抜け出すことに痛感するものだから。

 と書いてありました。

まさに、会社もそうですし、拠点もそうですが、一つの会社、一つの拠点に依存して生きていると、「ちょっと違うな」「違うところに住みたい」と思った時に、リスクが大き過ぎてしまいます。また、その会社で育んだ居場所や拠点の愛着を捨てることになるため痛みがあります。

この依存性が排除できないと、自由に生きていくことが難しいです。

もちろん、居場所や愛着を捨てろと言っている訳ではありません。もし、居心地がよくて自分にあっているのであれば、それで幸せなのであれば変えること自体が不幸な訳です。

しかし、自分が幸せだと感じているライフスタイルと現状が違うのであれば、依存していれば怖さを感じるかもしれません。

拠点依存性を下げることで、より自由によりフットワークが軽く生きていけます。僕は、それが幸せですし、飽き性なので拠点依存性を下げていきます。

 

評価経済の懸念点

今まで、共感経済について色々と書いてきました。

共感経済は、お互いの感情や想いで経済が回る社会です。評価経済は、Airbnb食べログのような評価(レビュー)で経済が回る社会です。

keisuke-chiba.hateblo.jp

  

keisuke-chiba.hateblo.jp

 

以前から、何度か評価経済や評判経済だけでは生きづらい社会になるのではないかと主張してきましたが、家入さんも同じようなことを言っています。

僕たちは何をするにも「いい人でい続けないといけない」という同調圧力が働く時代になっていくと思っていて、根はいい人なのに性格が素直じゃないとか、正義感が強すぎるあまり人と衝突することが多い人とかが、本当に生きづらい社会になるはずだ。

さらに、そこに遺伝子情報が介在してきたり、街中に監視カメラが顔認証をし始めたりすると、人が案寧に生きていくためには社会と同一化するしかなくなるだろう。

 

信用を貨幣と一元的にみなしてしまうと、社会は成り立たなくなってしまう危険があることを忘れてはならないということだ。 

人からの評価が経済指標になってしまうと、つまらない社会になってしまうと思います。

Airbnbの評価が低い人は、銀行口座が作れない時代になってしまったら、怖くて突き抜けたことをしようとしなくなります。

すると、イノベーションも生まれないし、監視社会で閉塞的な社会になる危険性があります。

 

評価というのは絶対的なものではないし、むしろ参考程度。

本当に必要なのは、共感ではないでしょうか。僕は、最近感謝経済(Thanks Economy)という言い方をしていますが、「ありがとう」で回る経済です。

ポジティブな経済の方が楽しいし、明るいなと思うのでこの感謝経済を使っています。

共感経済にもマイナス面があるかもしれません。

僕は、まだその共感経済が煮詰まり切れていないので、悪い部分が見つかっていませんが、新しい経済システムを提案する立場として、そのマイナス部分も検討しなければいけません。

 

 

テクノロジーが変える僕らの未来

「テクノロジーが変える僕らの未来」という内容の中で、

今でもスカイプはあるけれど、大事なミーティングは対面で、というケースが多い。それは2次元の世界では相手の仕草や表情、その場の空気感などが伝わりきらないからだ。でもVRであればそれを補完できる。

(中略)

遠方の友達と遊びたくなったら、VRでプチ海外旅行でもすればいいのだ。

という一説がありました。

確かに、VRはスカイプよりも相手が近くにいるように感じるでしょうし、忙しく互いに対面で会えない場合は仕方ないかもしれません。

しかし、VRでは相手に触れることもできなければ、相手と同じ空気を吸うことはできません。バーチャルはリアルには敵わないし、リアルに勝る感動は味わえないと思っています。そのためVRでは補完はできないと思っています。

遊びもそうですが、仕事も同じです。

例えば、福岡のクライアントとVRでMTGするのと、東京から福岡まで行ってMTGをするのだと、相手に与える印象が全然違います。相手は、自分のために時間とお金と労力をかけて会いに来てくれた感動しますし、接し方も変わります。

VRではこんな感動は味わえません。

 

旅もそうです。

16Kの映像がVRで体感できて、人間が見ている世界と全く同じ映像が見られるようになったとして、VRで旅をしても、それはバーチャルであってリアルではない。脳みそは錯覚していても、虚しいだけです。

目的地に辿り着くまでの道のりも旅です。そして帰ってくる道のりも旅です。見たことのない場所に行き、自分の感性に従って生きることがVRでできるのでしょうか?

 

テクノロジーの発展は素晴らしいですし、便利になることもいいことかもしれません。しかし、便利になりすぎることで、人間が生きている意味がなくなってしまっては元も子もありません。

不便なことを面白がり、不完全であるところが人間らしいと思います。