Roamers Lifeという生き方

エストニアをベースに無拠点生活を目指す奮闘記

男性性と女性性について

先日、ふと思ったことがあったので、それを記事化したいと思います。

 

f:id:keisuke_chiba:20180121132905j:plain

 

「男性性と女性性」という題名を見て何のことかなぁと思われた方もいると思います。

 

実は先日、あるイベントで「Be a Strong Women!」という言葉を聞いた。
「強い女性になろう」というキーワードは最近よく耳にするようになりました。なぜ、男性である僕がこのことに触れたかと言いますと、最近の「強い女性」に違和感を感じるからです。

 

「強い女性」「女性活躍」と聞いて、イメージする人といえば、小池百合子知事や立憲民主党蓮舫議員などが頭に浮かびます。

 

僕の中で彼女らは、"強い女性"というニュアンスよりも、"男性思考が強い女性"という方が近いです。

つまり、男性社会でいかに立ち振る舞い、のし上るのかという意味において強い女性であるということです。

果たして、それでいいのだろうか?と思うのです。

 

なぜなら、20世紀までの時代は、男性中心の男性性の強い社会でした。その結果、経済は成長し、モノが豊かになったということも事実ですが、副作用が大きく、環境破壊、経済格差、戦争や紛争、テロリズムなど数々の問題も同時に引き起こしました。

 

もし、"男性思考が強い女性"が世に溢れた場合、目に見える部分には"女性"と"男性"が対等な立場になったとしても社会構造は男性性の強い社会のままであり、本質的には何も変わらないのではないかと思っています。

 

男性性は、競争を好み、戦いを好みます。しかし、女性性は逆で、協調性を好み、互いに認め合います。

女性性の強い人は、平和的解決を望み、和を以て貴しとなす姿勢が見られます。
男性性が強い人は、他人よりも上を目指し、時には戦いを持って制する姿勢が見られます。

 

21世紀は、精神社会の時代です。その時代において、人より抜きん出るために戦いを挑むような時代ではなく、互いに譲歩しあい、支援し合う関係において、持続可能な社会を創るべきです。

 

その21世紀以降を見据え、次世代に持続可能な社会基盤を残すためには、女性性の強い社会を実現すべき時が来ています。

 

長らく男性性の強い社会が続いたことで、女性性の社会に変革するのには、大きな力と忍耐力が入ります。

 

その女性性の強い助け合いの社会を創るために、女性も男性も力を合わせていくべきです。
この意味において、「Be a Strong Women」という言葉を使うべきなのではないかと思うんです。

 

僕らが創っている感謝経済は、恩贈りで繋がり、助け合いによって支えられながら回る経済です。

 

男性的な"戦闘"ではなく、女性的な"協調"を目指した社会をジェンダーに関係なく創って行きたいです。